夜の徘徊 [今日の父]
夜の徘徊と言っても、父の場合は家の中だけに、今のところはどどまっている。
不穏状態(理由の分からないいらつき状態)になると、機嫌のわるい顔をして、食事も取らない、トイレに行きたいか聞いても話さない。 もともと、というか最近は言葉が出てこないので、いきたい?と聞いて、うなづくか、
あー、えー、というので 「トイレ?」とこちらから聞いてあげるような感じだ。
その、父からのわずかな反応というか、コミュニケーションも、不穏状態になると全くなくなってしまい、
こちらが常に気をつけていないと、何をしたいか、何をしでかすかわからない。
突然歩きまわりそのへんのものを倒したり、暴れるわけではないが、意味の分からない行動を取り、
それをなだめようと座らせようとすると、力はまだ強いので強くうでを掴まれたり、押し倒そうとしてきたりする。
私がいるときはいいが、母だけの時はどうしても力では勝てないので、母に危険が及ぶこともある。
歩きまわりたい時は、一緒にくっついて狭い家の中を一緒に歩いてあげるだけだ。
玄関から外にでないように、寒いトイレ方向に行かないように、こっちだよ、といってあげると台所に行き、また居間に行きそしてもう一周。 それを延々と続ける。
言葉何もない。 ただひたすら歩く。 よぼよぼとおぼつかない足取りで歩く。
調子が悪い時はいつもこうだ。 家の中を何十周したかわからなくなった頃、少しつかれて座る。
座る? と聞くと、うん。 と小さな声でいう。
調子が、わるいとき、いつもこうだと、しばらくは思っていた。
でも、ある日また家の中を歩きまわり始めた時、父の口から、
「やんなっちゃった。 やんなっちゃった。」
という言葉が出てきた。
いつも調子悪い時に、不穏になって怒って機嫌が悪くなって、みんなに怒り散らすと思っていた。
でも、きっと多分違う。
不穏になるときは多分、父は自分になにが起きているのか、理解している。
どうにもならない体、感情、それを理解できるほど、頭のどこか一部は正確に機能している。
だからこそやり場のない怒りに襲われるのだろうと思う。
だからこそ不穏状態になってしまい、感情をコントロールできないのだ。
その姿は、やはりせつない。 どうしてやれることが出来るのか。 一緒に歩いてあげること以外に、
私にできることは、あまりない。
不穏状態(理由の分からないいらつき状態)になると、機嫌のわるい顔をして、食事も取らない、トイレに行きたいか聞いても話さない。 もともと、というか最近は言葉が出てこないので、いきたい?と聞いて、うなづくか、
あー、えー、というので 「トイレ?」とこちらから聞いてあげるような感じだ。
その、父からのわずかな反応というか、コミュニケーションも、不穏状態になると全くなくなってしまい、
こちらが常に気をつけていないと、何をしたいか、何をしでかすかわからない。
突然歩きまわりそのへんのものを倒したり、暴れるわけではないが、意味の分からない行動を取り、
それをなだめようと座らせようとすると、力はまだ強いので強くうでを掴まれたり、押し倒そうとしてきたりする。
私がいるときはいいが、母だけの時はどうしても力では勝てないので、母に危険が及ぶこともある。
歩きまわりたい時は、一緒にくっついて狭い家の中を一緒に歩いてあげるだけだ。
玄関から外にでないように、寒いトイレ方向に行かないように、こっちだよ、といってあげると台所に行き、また居間に行きそしてもう一周。 それを延々と続ける。
言葉何もない。 ただひたすら歩く。 よぼよぼとおぼつかない足取りで歩く。
調子が悪い時はいつもこうだ。 家の中を何十周したかわからなくなった頃、少しつかれて座る。
座る? と聞くと、うん。 と小さな声でいう。
調子が、わるいとき、いつもこうだと、しばらくは思っていた。
でも、ある日また家の中を歩きまわり始めた時、父の口から、
「やんなっちゃった。 やんなっちゃった。」
という言葉が出てきた。
いつも調子悪い時に、不穏になって怒って機嫌が悪くなって、みんなに怒り散らすと思っていた。
でも、きっと多分違う。
不穏になるときは多分、父は自分になにが起きているのか、理解している。
どうにもならない体、感情、それを理解できるほど、頭のどこか一部は正確に機能している。
だからこそやり場のない怒りに襲われるのだろうと思う。
だからこそ不穏状態になってしまい、感情をコントロールできないのだ。
その姿は、やはりせつない。 どうしてやれることが出来るのか。 一緒に歩いてあげること以外に、
私にできることは、あまりない。
母の気持ち [今日の父]
今日は父は週に4日行くことになっているデイサービスに行った。
私は朝デイサービスの人が父を迎えに来る前に仕事に出かけてしまうので、
父とデイの人がどのような感じで出かけていくのか、見ることができない。
週末に家にいるときは見れるのだが、父は出かけるときはたいがいが不機嫌な顔をして、
「またいくのかよ」 「やだよ」など、行きたくないモード全開で連れて行かれる。
それでもデイサービスに行っていろいろな人に会い、会話をしたりすることがリハビリになるし、
なにより仕事をしている母の負担が減る。
本人は行きたくないというので、前はいつもかわいそうになり、
「今日は休めば?」などと私も声をかけていた。
父親は元来あまり社交的な人物ではなく、人とうまく話をすることができない人であった。
そんな父がまったく知らない人たちの中で、しかも自分の親くらいの年齢の人に混じって、
お遊戯したり、折り紙を折ったりするわけで、記憶を少しづつなくしている本人とはいえ、
やはりなんとなくいやなことには違いない。
それがかわいそうで、私は父をかばう意味で母に
そんなに邪魔にしなくたっていいじゃないかといったこともあった。
それが母親を追い詰めることになるということに、気づかずにいた。
父が働けなくなってからというもの、母は一人で仕事と家事をこなし、
父を医者に連れて行き、事の面倒を見、風呂にいれ、トイレに行かせ、
下の世話から着替え、何しろ朝起きてから夜寝るまで
生活すべてにおいて父の介助をしている。
父は服も自分で着れない、脱げない、食事も自分で取れない、
トイレも風呂もいけない、じっと座ってもいられない。
私は外に働きに行ってしまうからいいけれど、
母は四六時中まったく父の面倒から解放されることはないばかりか、
自分の仕事(これがないと父も母も食べられない)と、
家事や他の用事もその間にすべてこなさなければならないのだ。
時にはあせって、じれったくなって、父に冷たく当たったりしてしまうこともある。
それをたまに見る息子はそんな母を見て、
そんなに冷たくするな くらいのことを言ってしまうときがあった。
その時の母の気持ち。
父が病気になって、父がつらい目にあって、一番つらいのは、母なはず。
母はなにも言わないし、普通にしてはいる。 それでも、きっと一番孤独なのは、
母なのだ。
私は朝デイサービスの人が父を迎えに来る前に仕事に出かけてしまうので、
父とデイの人がどのような感じで出かけていくのか、見ることができない。
週末に家にいるときは見れるのだが、父は出かけるときはたいがいが不機嫌な顔をして、
「またいくのかよ」 「やだよ」など、行きたくないモード全開で連れて行かれる。
それでもデイサービスに行っていろいろな人に会い、会話をしたりすることがリハビリになるし、
なにより仕事をしている母の負担が減る。
本人は行きたくないというので、前はいつもかわいそうになり、
「今日は休めば?」などと私も声をかけていた。
父親は元来あまり社交的な人物ではなく、人とうまく話をすることができない人であった。
そんな父がまったく知らない人たちの中で、しかも自分の親くらいの年齢の人に混じって、
お遊戯したり、折り紙を折ったりするわけで、記憶を少しづつなくしている本人とはいえ、
やはりなんとなくいやなことには違いない。
それがかわいそうで、私は父をかばう意味で母に
そんなに邪魔にしなくたっていいじゃないかといったこともあった。
それが母親を追い詰めることになるということに、気づかずにいた。
父が働けなくなってからというもの、母は一人で仕事と家事をこなし、
父を医者に連れて行き、事の面倒を見、風呂にいれ、トイレに行かせ、
下の世話から着替え、何しろ朝起きてから夜寝るまで
生活すべてにおいて父の介助をしている。
父は服も自分で着れない、脱げない、食事も自分で取れない、
トイレも風呂もいけない、じっと座ってもいられない。
私は外に働きに行ってしまうからいいけれど、
母は四六時中まったく父の面倒から解放されることはないばかりか、
自分の仕事(これがないと父も母も食べられない)と、
家事や他の用事もその間にすべてこなさなければならないのだ。
時にはあせって、じれったくなって、父に冷たく当たったりしてしまうこともある。
それをたまに見る息子はそんな母を見て、
そんなに冷たくするな くらいのことを言ってしまうときがあった。
その時の母の気持ち。
父が病気になって、父がつらい目にあって、一番つらいのは、母なはず。
母はなにも言わないし、普通にしてはいる。 それでも、きっと一番孤独なのは、
母なのだ。